御殿山第二砲台の見学を終えて,ロープウェイで山麓駅に降りました.ここからは後半の「まちなか」コースです.徒歩と電車で,弥生小学校に到着しました.
まちなか担当の石塚氏の話によると,弥生小学校は,1934年(昭和9年)の函館市の大火後に復興小学校の一つとして建てられ,函館市技師・小南武一氏が,この弥生地区の傾斜地を巧みに利用して設計したそうです.保存運動も行われましたが,結局外壁だけを残して解体されました.そのような保存方法が本当に正しいのか?石塚氏の問題提起でした.写真は弥生小学校前で石塚氏の説明を聞く参加者.
次に,少し移動して,「函館空襲を知る土蔵」を見学しました.土蔵は北洋漁業の最盛期だった大正時代に建てられたそうです.弥生地区は函館空襲のとき最も被害の大きかった場所でしたが,土蔵は正面の柱や漆喰が焼けましたが,建物自体は残りました.相続人からこれを買い取った会社が保存することに決め,2011(平成23)年に補修工事や漆喰を塗り直したそうです.私たちが見たのは,そうしてすっかり綺麗になってしまった土蔵でした.
最後に,函館空襲犠牲者の慰霊碑がある称名寺を見学しました.ここには函館空襲で亡くなった日本人の慰霊碑の隣に,北海道空襲で戦死した米軍飛行士の慰霊碑があり,碑に刻まれた米軍飛行士の氏名について,大会に先立って行われた米軍資料の調査・活用に関する研究会で話題になりました.
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