
神戸空襲を記録する会は,6月5日(日)に『戦跡ウォーク』を実施しました.この『戦跡ウォーク』は,神戸大空襲の中でも被害の大きかった1945年6月5日の神戸市中心部を目標にした焼夷弾空襲の日に合わせて,毎年6月に行っているもので,今年で13回目を迎えました.午後1時-午後3時半頃まで行われたこのイベントに180人もの参加がありました.写真は御影小学校校庭での説明会の様子です.
JR住吉駅に集合,本住吉神社にて神社の歴史資料館を見学「神社は8月6日に空襲で焼け落ちました.宮司宅だけが無事だったおかげで,古文書などあります」と説明をうけました.
境内にて地元に生まれ育った89歳の男性から,「焼夷弾が火の雨のように降り,火の粉が松の木の上まで飛び上がった.倒れている人を助けていたら,自分が死んでしまう状態だった」とか川崎造船に徴用され,徹夜で航空母艦を造らされたときの悲惨な体験を聞きました.
途中神功皇后が化粧に使ったとされる湧き水の地を通って,郷土の歴史も学びました.御影小学校では当時すぐそばに住んでいた女性(76歳)が,「校庭にあった防空壕に逃げ込もうとすると満員で別の壕に入りました.入れなかった壕には,直撃弾が炸裂し壕の中の人は全員亡くなった.知り合いの家族4人が真っ黒焦げになって亡くなっていた.お母さんが赤ちゃんをしっかり抱きしめ,赤ちゃんは真っ白で亡くなっていた.赤ちゃんを抱きしめていたお母さんの七色の伊達締めの鮮明さが,今も脳裏から離れない.戦争は決してしてはいけない」と話してくれました.石屋川のほとりに阪神淡路大震災の後作られた「火垂るの墓」のモニュメントの前では,アニメ「火垂の墓」の主人公たちが,命からがらたどりついた川べりの話しやその時焼け残った御影公会堂の説明を聞きました.
御影公会堂は6月5日の空襲の時も焼け残り多くの被災者の雨露を凌ぐ場となり,1995年の阪神淡路大震災の時には新しい区民ホールができ,既に壊される運命だった公会堂ですが,避難所として市民に勇気や元気を与えてくれたとして残されることになったのです.今も市民に愛され,船をかたどったと言われる気品ある姿を残しています.ここで解散となりました.
事故なく無事に終えることができ感謝でした.
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